益子焼(ましこやき)が、全国的な民芸陶器の理由とは?

伝統工芸


栃木県の南部に位置する益子町。
「益子焼(ましこやき)」は、全国的に名の知れた陶器です。

益子焼の魅力に惹かれて多くの観光客が訪れている栃木県益子町には、約250もの窯元があるとされています。
国内はもとより海外からも多くの陶芸家がこの地に居を構え、陶器の製作に励んでいると言われています。


「益子焼(ましこやき)」は、陶芸作家「濱田庄司(はまだしょうじ)」によって民藝品として注目されて有名になります。

 

益子焼の歴史


益子での焼き物は古くからありましたが、現在の「益子焼(ましこやき)」という形になったのは江戸時代からです。
江戸時代の終わりの1853年 (嘉永6年) のこと。

笠間で作陶を学んだ陶芸作家「大塚啓三郎(おおつかけいざぶろう)」が根小屋窯を築いたのが、今日の益子焼のはじまりです。

益子を治めていた黒羽藩は、益子焼を殖産事業として援助していました。
黒羽藩の専売品となるほどに発展。
鬼怒川を通じて土瓶やすり鉢・壺などの台所用品は、江戸にまで普及するようになっていました。



益子焼の特徴


「益子焼(ましこやき)」の基本的な釉薬(ゆうやく)

「柿釉(かきゆう)」:赤茶色
益子焼の最も益子らしい釉薬の「柿釉(かきゆう)」
柿釉の原料は益子で産出される「芦沼石」です。
他の原料を一切混ぜることなく、芦沼石100%で使用します。

「並白(なみじろ)」
寺山白土、大谷津砂など、栃木県産出の原料を利用して作られている透明釉。

「漆黒(しっこく)」
芦沼石(柿釉)に並白を合わせて作る「益子黒」と呼ばれる釉。
釉が薄く掛かったところで茶色く発色します。




元々は農家用の雑器や、日用の器ものなどを
陶工が「半農半陶」でつくる窯。

益子焼の特徴で面白いのは「土の質感」
陶土は砂気が多く、粘性が少ない。
そのため細かい細工には向かず、ぽってりとたフォルム、素朴で温かみのある風合いが特徴的。

重厚な色合いとぼってりとした肌触り。

 

民藝品としての益子焼


益子焼の陶芸家にして人間国宝「濱田庄司(はまだしょうじ)」
民藝運動の中心人物でもあり、「益子焼(ましこやき)」を広めた立役者です。


「濱田庄司(はまだしょうじ)」が20代の頃、イギリス人陶芸家「バーナード・リーチ」の帰国に同行し英国で作陶を始めます。
ロンドンギャラリーで個展を成功させ活躍したのち、3年後に日本へ帰国。
英国田舎町で見たライフスタイルに感銘を受け、日本の田舎暮らしを望み、益子に移り住みました。



1926年に「濱田庄司(はまだしょうじ)」
哲学者「柳宗悦 (やなぎむねよし」
「河井寛次郎(かわいかんじろう)」
らと共に提唱し推進した運動があります!

それは

「暮らしの中で使われる手仕事の
日用品の中に『用の美』を見出し
活用していこう!」

という「民藝運動」のことです。



それまでは
上流階級が好んだ美術品を「上手物(じょうてもの)」
地方の手仕事の品を「下手物(げてもの)」
と呼んでいました。


濱田庄司らは、民藝運動で日本全国を巡ります。

実際に自分たちの技術やセンスでものづくりを指導するなどして、それまで地方の手仕事「下手物(げてもの)」職人や産地を盛り立て、「民衆的工藝」略して「民藝」と呼び替えて新しい『用の美』を見出しました。



「濱田庄司(はまだしょうじ)」は益子焼を『用の美』として、全国に多くファンを生み出した張本人です!


「民芸陶器」

今や若い女の子にも人気の高い可愛らしい「益子焼(ましこやき)」

若い陶芸家が集まり、新しい価値観の日用品を生み出しています。
今のライフスタイルにも合う、モダンな物も多く作られて「益子焼」も変化・進化しています。


これこそが、「民芸陶器」の真髄なのでしょうか!?



ながらの古風なものからモダンな陶芸家のものまで
普段使いの器として人気の高い「益子焼(ましこやき)」

おしゃれな陶器を探しに、栃木県・益子をやきもの巡りしてみませんか?
きっとお気に入りの陶器が見つかります!


おしゃれな「益子焼」を日常生活に取り入れる

 

 

 

 

 

「益子焼」のおすすめ書籍

 

 

 

 

 

 

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