素朴さを感じる茶道具。
静寂に包まれた庭園を見た時に
何か清らかな「美しさ」を感じることができるのではないでしょうか!?
それを私たちは「わびさび」という言葉を使って表現しがちです。
この「わびさび」って
どこからきた言葉なのでしょうか!?
何となく日本らしいイメージですが、その意味までは正直わかりません…。
今回は「わびさび」の成り立ちや、茶道との関係などについてお伝えします。
「わびさび」日本独自の背筋がピシッと伸びる美意識とは?
わびさびとは?
「わびさび」とは、日本独自の美意識のこと。
例えば、
質素で静かな様子や不完全であることをよしとする
ひとつのイメージのことです。
実際は、「侘び(わび)・寂び(さび)」のふたつの名詞が繋がった言葉です。
それぞれ意味も違いますので、それぞれの意味からみてみましょう!
侘びの意味
わびは、「侘び」と書きます。
動詞「わぶ」の名詞形です。
「(1)わびしいこと。思いわずらうこと、悲しみなげくこと (2)俳諧(はいかい)・茶道の精神で、おちついて、静かで質素なおもむき。閑寂」
(出典:「新選国語辞典」第9版)
という意味で使われています。
つまり
「気落ちする、悲嘆、鬱々(うつうつ)」など
「内面的」なことの意味。
自分の思い通りにならない状態を受け入れる心。
積極的に安住しようとする
肯定的な意味・内容を持ち。
置かれている状況を悲観することなく、
それをむしろ楽しもうとする精神的な豊かさを
表現した言葉です!
ポジティブに捉えた「内面的な精神」のこと。
寂びの意味
さびは、「寂び」と書きます。
動詞「さぶ」の名詞形です。
「日本の古典芸術の代表的な美のひとつ。現象としての渋さと、それにまつわる寂しさとの複合美。無常観や孤独感を背景として、和歌・連歌・茶など、ジャンルを超えて重んぜられた」とあります。
つまり
「古びる、色あせる、枯れる」など
「表面的」なことの意味。
もう少し簡単に言いかえると
「古さや静けさ、枯れたものから趣が感じられること」
ということでしょうか!?
精神性を表現した侘びとは異なり、
寂びは内面的な本質が表面的にあらわれていく
その変化を「美」と捉える概念のようです。
「わびさび」の美意識は
中国から伝来した禅宗と結びつき広がっていきます。
そのことから、「禅:ZEN」などと表現されることもあります。
千利休の「侘び茶」
「わびさび」と聞くと
茶道を思い浮かべる方も多いかもしれません…
では、どのようにして茶道と結びついたのでしょうか!?
「茶の湯」とは、
室町時代の貴族や武士の間で、中国の豪華な茶器を集める美術品鑑賞として
広まりました。
その後
「村田珠光(むらたしゅこう)」や「武野紹鴎(たけのじょうおう)」によって
簡素で静寂さを感じる「新しいお茶の礼式」がつくられました。
それが「侘茶(わびちゃ)」です。
村田珠光は、「不足した美を楽しむ精神を侘茶の中で主張した」のです。
そして千利休は、この村田珠光から茶の湯を学んだ人です!
なるほど、ここで有名な「茶祖:千利休(せんのりきゅう)」が登場します。
利休は人びとの心の交流を中心とした
緊張感のある茶の湯「侘茶(わびちゃ)」を目指します。
また自らの審美眼により数々の道具を創造するなど
それまでの茶の湯には見られなかった独創性を発揮して
「侘茶(わびちゃ)」を大成させました。
茶道は今日
日本の伝統文化の一つとして、国内はもちろん
海外にもその豊富で総合的な内容が認められてきています。
その茶道の精神として
「茶は渇(かつ)を医(い)するに止まる」
とシンプルな言葉があります。
「お茶とは、ただ渇きを取り除くためのものである」と言われています。
お茶の道を志した人にとって、大切な言葉です。
自然な心でことにのぞみ
いかなる時にも
慌てたり動じたりしないという心構えを
授けてくれるのが「茶道」
茶道をもっと広く深い意義を理解できた時、自分というものがどういうものなのか?
自分の姿を理解すると共に
この世は自分一人のものではない。
自分と共に多くの人もまた一緒に生活をしているという
意識がはっきりと理解できるようになる。
なんとも、素晴らしい精神を千利休は作りあげたんですねぇ。
茶の湯「侘茶(わびちゃ)」のことがもっと知りたくなりました。
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