2018年6月、東京・お台場に開館した「森ビルデジタルアートミュージアム:エプソン チームラボボーダレス」にやっと行ってきました。
コロナ外出自粛明けで、予約をして平日に訪れたため、じっくりとゆっくりと見学することができました。
チームラボ・ボーダレスとは?
境界のない1つの世界の中で、さまよい、探索し、発見する!
チームラボボーダレスは、アートコレクティブ・チームラボの境界のないアート群による「地図のないミュージアム」。
境界のないアートは、部屋から出て移動しながら、他の作品とコミュニケーションします。
アートがお互い影響を受け合いながら、他の作品との境界線がなく時には混ざり合う。
そのような作品群によって境界なく連続してつながっていく1つの世界になります。
境界のないアートに身体ごと没入し、10,000㎡の複雑で立体的な世界をさまよい、意思のある身体で探索し他者と共に新しい世界を創り、発見していく。
実際に中に入ると壁一面が、デジタルスクリーンになっていたり。
部屋から他の部屋に、壁を伝わってアートが移動するのが観れます!
今まで観たこともないような、不思議な世界でした・・・。
チームラボとは?
「アートコレクティブ」
2001年から活動を開始。
集団的創造によって、アート、サイエンス、テクノロジー
そして自然界の交差点を模索している国際的な学際的集団。
デジタルアートのトップランナーとして注目を浴びるチームラボ猪子寿之さんが代表を務めています。
アーティスト、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、数学者、建築家など、様々な分野のスペシャリストから構成されている。
チームラボは、アートによって、自分と世界との関係と新たな認識を模索したいと考えています。
人は、認識するために世界を切り分けて、境界のある独立したものとして捉えてしまう。
その認識の境界、そして自分と世界との間にある境界、時間の連続性に対する認知の境界などを超えることを模索している。
全ては、長い長い時の境界のない連続性の上に危うく奇跡的に存在する。
チームラボの作品は、ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館(シドニー)、南オーストラリア州立美術館(アデレード)、サンフランシスコ・アジア美術館(サンフランシスコ)、アジア・ソサエティ(ニューヨーク)、ボルサン・コンテンポラリー・アート・コレクション(イスタンブール)、ビクトリア国立美術館(メルボルン)、アモス・レックス(ヘルシンキ)に永久収蔵されています。
境界のないアート作品
Borderless World
人は自らの身体で自由に動き、他者と関係性を持ち、身体で世界を認識する。
そして身体は時間を持ち、頭の中での考えは、他の考えと境界が曖昧で影響を受け合い、時には混ざり合う。
アートも、部屋から出て、自ら動き出し、人々と関係性を持ち、身体と同じ時間の流れを持つ。
作品は、他の作品とコミュニケーションし影響を受け合い、他の作品との境界がなく、時には混ざり合う。
そのような作品群による、境界のなく連続する1つの世界「チームラボボーダレス」。
人々は、世界をさまよい、意思のある身体で探索し、他者と共に新しい世界を創り、発見していく。
花と人の森、埋もれ失いそして生まれる / Forest of Flowers and People: Lost, Immersed and Reborn
空間には複数の季節が同時に存在し、それらがゆっくりと移り変わっていく。
花々は、移り変わっていく季節に合わせて、生まれる場所がゆっくりと移り変わっていく。
花々は生まれ、成長し、つぼみをつけ、花を咲かせ、やがて散り、枯れて、死んでいく。
つまり、花は誕生と死滅を、永遠に繰り返し続ける。
人々がじっとしていれば、その付近の花々は普段より多く生まれ、咲渡る。
人々が花にふれたり、踏むと、いっせいに散って死んでいく。
そして、他の作品に影響を与えたり、他の作品の影響で散ったりもする。
例えば、蝶は花が咲いている場所に寄って来るし、滝の水に覆われたり、カラスが飛ぶことによって、散っていく。
作品は、コンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。
あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。
全体として以前の状態が複製されることなく、人々のふるまいの影響を受けながら、変容し続ける。
今この瞬間の絵は2度と見ることができない。
確かに一人の男性が壁を触ったり、花を踏んでじっくり観察をしていました。
最初は何だかよくわかりませんでしたが、自分が作品に影響を与えていることに気が付く!
花を踏んだり、触ったりすると、散っていく・・・。
長い時間過ごしていると、季節の移り変わりも体験できます。
ある場所では、ヒマワリいっぱいの夏らしさを感じることができました。
Impermanent Life, 時空が交差する場所には新たな時空が生まれる / Impermanent Life, at the Confluence of Spacetime New Space and Time is Born
背景では、桜が咲いては散り、生と死を繰り返す。
そして、背景の複数の点から、一定のリズムと特定の間隔で放射状に広がるように円が生まれ大きくなっていく。
生まれてくる円は、背景の世界の明暗だけを変える。
よく見ると細かい花びらからできている絵画で、時間がすぎると散っていく・・・。
儚さと再生が交互に駆け巡る不思議な感覚。
「Light Sculpture 」シリーズ
光の線の集合による、空間の再構成、立体物の構築。
空間や立体物は動き、そして身体を包み込み、身体を没入させていく。
Aurora Lights II
空間の中心には、光の色が混ざり合った光の塊が生まれる。
「Light Sculpture – Fog」シリーズ。
スモッグと光による、曖昧な空間の再構成、曖昧な立体物の構築。
音楽と合わさって動くスポットライト。
レーザービームのように一直線の線がグルグル動き回ります!
ライトの線が重なり合い、交差して、空間全体を一直線のライトで埋め尽くす。
クラブにでもいるような、音楽と空間のエンターテイメントでした。
踊りたくなるような、クールな雰囲気です。
地形の記憶 / Memory of Topography
分け入ることのできる高低差のある空間で、悠久な里山の景色を描いている。
現実の時間の流れと共に、作品世界は移ろっていく。
春まだ小さく青々しい稲は、夏頃には大きく成長し、秋頃には黄金色になるだろう。
そして、現実の時間の流れとともに、昆虫や花々なども変わっていく。
昆虫は人々の振舞いの影響を受けて動く。
そして、人々が動き回ることで空気の流れが変わり、空気の流れによって稲や散る花びらの動きが変わる。
この作品は、1年を通して刻々と変わっていくが、毎年、ほとんど変わらず、悠久に続いていく。
しかし、自然の景色が、同じようで、2度と同じではないように、作品の次の年の同じ時は、全く変わらない景色のようで、厳密には同じ絵ではない。
つまり、今この瞬間は、二度と見ることができない。
ほとんど変わらないが同じではない風景が、毎年、悠久に続いていく。
作品とそれを媒介するキャンバスが分離され、キャンバスが変容的なものになったことと、連続した動的なふるまいによる視覚的錯覚によって、身体ごと作品に没入し、人々は身体と世界との境界をも失っていくだろう。
そして、一つの共通の世界が自分や他者の存在で変化していくことで、自分と他者が同じ世界に溶け込んでいく。
すごく奥深い作品ですね。
「毎年同じようで、同じでない!」
今この瞬間は、二度と見ることができない。
虫の泣き声、風、雨、匂いなど、自然の移り変わりは当たり前ですが、同じようで全部違う現象だと思っていなければなりませんね。
今この瞬間は、いつも大事にしたいと思いました。
Black Waves – Continuous
コンピューター上の空間で、三次元上の水の動きをシュミレーションし波を構築している。
水は、無数の水の粒子の連続体で表現し、粒子間の相互作用を計算している。
そして、水の粒子の挙動で線を描き、三次元上の波の表層に線を描いている。
そして、立体的に描かれた線の集合をチームラボが考える「超主観空間」によって平面化し映像作品にしている。
前近代の日本の絵画では、川や海など水は、線の集合として表現されることが多い。
そして、その線の集合はまるで生き物かのようにどこか生命感を感じる。
前近代の人々らには、実際、古典的な日本の絵画(川や海などで言うならば、まるで生き物のように見える線の集合)のように、世界が見えていたのではないだろうか。
「なぜ、前近代の人々が川や海そのものに生命を感じていたかのようなふるまいをしていたのか?」
そして「なぜ、彼ら自身も自然の一部であるかのようなふるまいをしていたのか?」という疑問へのヒントが、それらの絵画表現の中にあるように感じる。
実際には、激しい波の映像が部屋の壁一面に写っています。
嵐によって起こる、激しい波の動きはまさに生き物のように感じます。
しかも、少し恐怖を感じさせられます。
どこか映像に飲み込まれてしまうそうな、自然の恐ろしさも表現されている作品でした。
学ぶ!未来の遊園地
呼応するランプの森 – ワンストローク、紫陽花 / Forest of Resonating Lamps – One Stroke, Hydrangea
近代以前、日本では「かさねのいろめ」という、表の色と裏の色の組み合わせ(当時の絹は薄かったので裏地が透けたため複雑な色彩となった)や、重なる色彩のグラデーション、織りの縦糸と横糸の組み合わせなど、複雑な色彩に、季節の色の名前がついていた。
人がランプの近くで立ち止まり、じっとしていると、最も近いランプが強く輝き音色を響かせ、その光は、最も近い2つのランプに伝播する。
伝播した光は、同じように音色を響かせながら、最も近いランプに伝播し連続していく。伝播していく光は、必ず、全てのランプを1度だけ輝かせ、必ずはじめのランプに戻ってくる。つまり、人に呼応したランプの光は、2つに分かれ、それぞれ全てのランプを1度だけ通る1本の光のラインとなり、最後に、起点となった最初のランプで出会う。
一見バラバラに配置されたランプは、それぞれのランプから3次元上で最も距離が近いランプに線を引いたときに、(始点と終点が同じの)一筆書きできる1本のつながった線(unicursal)になるように配置されている。ランプがこのように配置されることによって、人に呼応したランプの光は、最も近いランプに伝播しているだけにも関わらず、一筆書きのように全てのランプを必ず通り、そして必ず1度だけしか通らず、最後に、起点となった最初のランプに戻ってくる。
ランプの配置に関しては、空間上のランプの配置を数学的に求め、ランプの高さ方向の分布のばらつきと、3次元的な経路(光の軌跡)のなめらかさを定量化し、多数の解に対して評価を行った。
このようなプロセスによって生まれたランプの配置は、一見ランダムのように見えるが、実際は、物理的に一番近いものに光が連続していくため、自然に感じる。そして、ランプの光の軌跡は1本線でつながっているため、自分から生まれた光と、他者から生まれた光は、必ず交わる。
これは、空間が固定化されていることを前提とした静的な美しさではなく、人々がこのランプに近づくことによって生まれる動的な美しさ、連続性の美しさとも言える。それは、人の存在による空間の変化や動きを受け入れた新しい時代の空間のありようである。
ランプシェードは、ムラーノ・ガラス(ベネチアン・グラス)で制作した。
お絵かき水族館 / Sketch Aquarium
この水族館は、みんなが描いた魚たちが泳ぐ水族館です。
実際に私もやってみました。
紙に自由に魚の絵を描きます。
スタッフさんに絵を渡してスキャンして取り込んでもらうと、描いた絵に命が吹き込まれ、目の前の巨大な水族館で、みんなが描いた魚と共に泳ぎ出します!
泳いでいる魚は、触れることもでき、触れられた魚は、いっせいに逃げ出します。
エサ袋に触ることによって、魚にエサをあげることもできます。
なんとも遊び心のあるアートなんでしょう!
ちょっと子供の気持ちに戻れた気がしました。
[育む力]
・多様性の尊重
・自己効力感の醸成
・テクノロジーへの興味
脳を発達させて知的好奇心を養えば 人は勝手に賢くなっていく!!
複雑で立体的な空間を自分の体を使って探索することが、空間を認識する脳のなかの海馬を大きく成長させるということが分かっているそうです。
ネズミの実験では、立体的な空間にいるのと平面にいるのとでは海馬の神経細胞の数に4万倍の差があり、体積は15%違うとも言われています。
自然の川や森、山、これらはすべて立体の塊です。
それを自分の体で探索する機会というものが重要です。
フィンランドは教育水準が高いとされていて、できるだけ子どもは外で遊んだ方がいいという考えが根付いています。
「子どもの頃に体を使って立体的なところで遊ぶこと」
「体を使って世界を把握していくこと」は、極めて大事なことです。
子供たちが自然で遊びながら学ぶ機会が失われている今、アートを楽しみながら知的好奇心を養ってあげられる「学ぶ! 未来の遊園地」と「チームラボアスレチックス:運動の森」は、非常に興味深いポイントでした。
なんだか、チームラボ代表 猪子寿之さんの優しさに触れたようでした・・・。
EN TEA HOUSE 幻花亭 小さきものの中にある無限の宇宙に咲く花々 / Flowers Bloom in an Infinite Universe inside a Teacup
一服の茶を点てると、茶に花が生まれ咲いていく。花々は茶がある限り無限に咲く。
器の中の茶は、花々が咲き続ける無限の世界となる。
その無限に広がる世界をそのまま飲むティーハウス。
小さきものの中にある無限の宇宙に咲く花々 / Flowers Bloom in an Infinite Universe inside a Teacup
一服の茶を点てると、茶に花々が生まれ咲いていく。
器を手に取ると、花は散り、器の外へと広がっていく。
花々は茶がある限り無限に咲いていく。
器の中の茶は、花々が咲き続ける無限の世界となる。
その無限に広がる世界をそのまま飲む。
茶が存在して初めて作品が生まれる。茶を飲み干すと、もう作品は存在しない。
茶は、変容的な存在であるため、器の中の茶の量によって、大きさが変わっていく。
その大きさに合わせて、生まれる花々の大きさも変わっていく。
茶が器からこぼれたなら、こぼれた茶にまた、花々が咲いていく。
花は、一年間を通して、その月々の季節の花々が咲いていく。
「一服の茶」
最近「茶道の世界」にも興味が湧き、習い始めたばかりです。
茶道は、総合芸術の世界だと改めて感じている。
日本のアートは、千利休の追求した「侘び寂び」である「詫び茶」と深く繋がっていると思います。
チームラボ・ボーダレスにおいても、日本茶のおもてなしをデジタルアートとして表現したこの世界観に驚きました。
一服のお茶を楽しむことは、その瞬間に花が咲くようなものです。
改めて、奥深い表現に感動しました!!
是非、機会があれば東京お台場の「森ビルデジタルアートミュージアム:エプソン チームラボボーダレス」に足を運んでください。
きっとその瞬間にしか味わえないアートを体験できると思います。
おすすめです!
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