萩焼
HAGI-YAKI

 

 

 

「萩焼」とは

 

茶陶(茶の湯で使うための陶器)として
有名な「萩焼」

江戸時代に周防・長門の二国を領有する
毛利輝元の御用窯として
発展した陶器。


萩焼は土の風合いを生かした
素朴な作風のものが多く

茶陶として発展した萩焼は

使い込むほどに器の色合いがだんだんと変化し
なんとも言えない「侘びた味わい」が特徴です。





「萩焼」の歴史



その歴史は
今から400年以上前の
文禄元年(1592)
豊臣秀吉の朝鮮出兵に遡ります。

 

安土桃山時代
織田信長
豊臣秀吉
千利休を保護して
「茶の湯」を独占的に支配しました。


「茶の湯」が当時大きく発展したことから
茶器の需要も高まりました。


これによって珍重されたのが
「高麗茶碗」
です。



秀吉の朝鮮出兵
「文禄・慶長の役」の際

多くの朝鮮の「技芸ある陶工」
を日本に連れ帰ります。

このとき招致された陶工によって
有田焼などの陶磁器が創始されました。


この戦は通称
「やきもの戦争」
とも呼ばれています。

 




「萩焼」の始まり

慶長9年(1604年)
広島から山口・萩に移封された
萩藩初代藩主:毛利輝元の命により

朝鮮人陶工
「李勺光(山村家)」「李敬(坂家)」
兄弟が松本村中の倉に
開窯したことが始まりといわれています。




毛利輝元
MORI TERUMOTO

萩藩の開祖となる毛利輝元
豊臣秀吉から茶の湯に親しむことを許され
千利休古田織部とも交遊があった大名。

「文禄慶長の役」の際に
朝鮮人陶工「李勺光」「李敬」
を招きました。

慶長5年(1600)
「関ヶ原の戦い」に敗れ
安芸・広島から長州・萩へ
移ることになります。

毛利輝元にお預けの身となっていた
朝鮮人陶工「李兄弟」
これに従って萩へ移り住みます。

萩の松本村に藩の御用窯を開いたのが
萩焼の始まりです。




「古萩」とは


初期の萩焼を総称する呼称で
「松本焼」の初代・二代・三代頃までの作品
(特色:枇杷色釉・白萩釉)
を指します。



「松本焼」

萩の城下松本(現・萩市椿東)
深川村三之瀬(現・長門市深川湯本三之瀬)
の陶芸のことを言います。


「萩焼」と呼ばれるようになったのは
明治以降のこと。

「萩焼」の以前は

「松本焼」
「深川焼(三之瀬焼)」

と呼ばれていました。




「松本焼」
「坂」・「三輪」・「林」の三窯

「深川焼」
「坂倉」・「倉崎」・「赤川」の三窯


焼いた家によって名称が分かれています。

 

 




また「古萩」
大道土【だいどうつち】の使用によっても
区別されています。


江戸時代享保年間(1716~36年)
周防国吉敷郡大道村(現・防府市台道)において
真っ白できめの細かい陶土「大道土」
が発見されました。

その後
高級茶器が盛んに焼かれるようになります。

この「大道土」が使用される前の萩焼が
「古萩」
と呼ばれています。

 

 

 

 



 

 

近代の「萩焼」

 

藩の手厚い保護を受けてきた
「萩焼の窯元」は
明治維新の変革で後ろ盾を失い
衰退してしまいます。

社会が西洋化し
数多くの窯元が次々と
消滅して行きました。

そんな中
明治後期に
「日本の伝統文化の再評価」
により

「茶の湯」
注目されるようになります。



大正期に
深川焼十二代坂倉新兵衛
表千家に入門し
「萩焼」「茶の湯」
との結びつきを強調させます。


この頃から
「1楽、2萩、3唐津」
と言われ



「萩焼」の知名度が
急上昇されます。




その追い風の中
伝統技法に独自の工夫を研鑽していた


深川焼:十二代坂倉新兵衛
SAKAKURA SHINBE

松本焼:三輪休和(十代三輪休雪)
MIWA KYUWA


文化財保護委員会より
無形文化財として指定を受けます。


1970年:三輪休和(十代三輪休雪)
人間国宝(重要無形文化財)に認定

1983年:三輪壽雪(十一代三輪休雪)
三輪休和(十代三輪休雪)の弟
人間国宝に認定

 

 

 

 

「萩焼」の特徴

 

<土の特性>

萩焼の土は
きめが粗く耐火度が高いため
焼き締まりの少ない陶土を用いています。
独特の柔らかな風合いが特徴。

土が粗いことで生まれる
「浸透性・保水性・保温性」が高い。



「貫入(かんにゅう)」
土と釉薬の収縮率の違いによりできる
表面の細かなヒビ。

水分が浸透し
器の中から表面にまで至ります。

この浸透により
使い込むほどに器の色合いが
徐々に変化してくことが特徴。


なんとも言えない「侘びた味わい」
醸すようになります。

この変化は
「萩の七化け(はぎのななばけ)」と呼ばれ
萩焼の最大の特徴となっています。

 

 

萩焼特有の味を出すためには
「陶土」は重要なものです。


萩焼の伝統的な原土は

大道土【だいどうつち】
DAIDOU-TSUCHI

見島土【みしまつち】
MISHIMA-TSUCH
I

金峯土【みたけつち】
MITAKE-TSUCHI

です。



 

<特徴>

 

「萩焼」は土の風合いを生かした
素朴なものが多く
絵付けなどの装飾はほとんどありません。

土の配合・釉薬の掛け具合
ヘラ目・刷毛目など
焼成の際の炎による偶然の効果が加わり
独特の味が生み出されるのです。

そのため
色彩も「大道土」の色を生かした
肌色から枇杷色

「見島土」の色を生かした
褐色や灰青色

藁灰釉による白色
など
比較的限られた色が特徴です。

最近では釉薬や焼成技術の進歩により
デザイン多様性が求められることなどから
茶道具から日常食器・小物まで
様々な色やデザインのものが
作られるようになっている。



この高台の一部を切り取った
「切り高台」「割り高台」

「高台」とは
茶碗の胴や腰を乗せている輪の部分。

この「切り高台」
萩焼の特徴のひとつ。

茶陶として発展した萩焼は
茶碗の見所のひとつである
「高台」に造形的表現を追求。


「庶民が使うことを許すため、わざと切り込みを入れた」
という御用窯らしい
萩焼ならではの特徴。

 

 

 

 

まとめ

 

「萩焼」は
茶陶として発展した歴史を持ちます。

使い込むほどに器の色合い変化する
なんとも言えない「侘びた味わい」が特徴。

エイジングを楽しめる
茶陶ということです。

「庶民が使うことを許すため、わざと切り込みを入れた」
いうストーリーも
親しみ持てる
ポイントで愛らしさを感じます。

「萩焼」を使い続けて得られる
日本の美意識の一つ
「侘び・寂び」の心を
焼物を通じて
体験してみたい!