備前焼
BIZEN-YAKI
【備前焼】
ぬくもりある素朴で
美しい陶器
備前焼の歴史
備前焼は
瀬戸、常滑、丹波、信楽、越前とともに
日本を代表する
「六古窯の一つ」
に数えられている。
岡山県備前市伊部(いんべ)地区
周辺を産地とする焼き物です。
なお、産地の地名をとって
「伊部焼」
とも呼ばれている。
備前焼の歴史は古く
千年の歴史を持つ陶器
(厳密には「せっ器(「せっ」は火へんに石)」)
として全国的に有名。
古墳時代より
須恵器の生産を営んでいた陶工たちが
平安時代から鎌倉時代初期にかけて
より実用的で耐久性を持つ
日用雑器の生産を始めたのが
誕生の時代といわれています。
釉薬を用いない
渋い焼き上がりは
やがて堺・京都の茶人に認められます。
桃山時代には
茶器の名品が数多く焼かれました。
江戸時代に入ると
藩の保護もあり
全国に広まります。
昭和の初期
「備前焼の中興の祖」と言われた
金重陶陽や藤原啓、山本陶秀
藤原雄、伊勢崎淳の
5人の人間国宝を生んでいる。
金重 陶陽
KANESHIGE TOUYOU
1896年(明治29年)1月3日 – 1967年(昭和42年)11月6日
岡山県出身の陶芸家備前焼の陶工として初めての人間国宝
江戸時代中期以降
伊万里焼や九谷焼などに
押されて人気を失っていた
備前焼を再興させることに成功し
「備前焼中興の祖」と称される。
自らが優れた陶工であっただけでなく
多くの弟子を育て
その中から次々と人間国宝を輩出するなど
備前焼の歴史上果たした功績は計り知れない。
陶陽の弟の金重素山
長男の金重道明
三男の金重晃介も
それぞれ陶芸家
また漂泊の日本画家の杉本白象は
自らを「金重陶陽の従兄にあたる」と
昭和42年にパトロンに送った作品に付けた手紙に記している。
北大路魯山人やイサム・ノグチらとも親交があり
彼らの芸術性に影響を受けた一方
彼らが備前焼を世に知らしめる役割を
果たしている。
藤原 啓
FUJIWARA KEI
1899年2月28日 – 1983年11月12日 日本の陶芸家
本名は藤原敬二。
1970年に人間国宝に認定。
幸いにも金重陶陽が親切に指導してくれ
互いに師弟というよりも
ともに土を愛し
酒を愛する人生の友として
備前焼の名声をもりあげてきた。
後にともに人間国宝となった
この二人の作風はまさに対照的。
陶陽の作品がきびしく精悍なのに対し
藤原啓の作品はおおらかで素朴である。
山本 陶秀
YAMAMOTO TOUSYU
1906年(明治39年)4月24日 – 1994年(平成6年)4月22日) 陶芸家。
岡山県出身。
昭和62年重要無形文化財(人間国宝)
「備前焼」に認定。
昭和27年伊部を訪れた北大路魯山人
イサム・ノグチらと交流。
昭和34年ブリュッセル万国博にて
(緋襷)作品がグランプリを受賞。
藤原 雄
FUJIWARA YU
1932年6月10日 – 2001年10月29日 日本の陶芸家
人間国宝陶芸家の藤原啓の長男。
1996年に人間国宝に認定。
「そこにあたたかさとか、やさしさとか、
強さとか、豪放さとか、
そういうものを想像させる焼物。
それがあることで精神的に
あたたかみを感じるような焼物。
そういうものをつくらなければいけない。
それが陶芸家の使命である。」
と彼は言っている。
伊勢崎 淳
ISESAKI JYUN
1936年伊勢崎陽山の次男 岡山県備前市伊部に生まれ
同じく陶芸家の伊勢﨑満は兄。
1959年岡山大学教育学部特設美術科卒業。
2004年9月2日重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。
1960年伊勢﨑満とともに
姑耶山古窯跡に中世の半地下式穴窯を復元。
「じっくり炎と対話させることで
窯の中で予期せぬ変化が起き
奥深いさまざまな表情が
生まれるのです」
と伊勢崎は言う。
「ただし、すべてを偶然性に委ねるわけではありません。
備前焼では、窯詰めの工程がとても重要です。
窯の中の炎の通り道や
灰の降りかかり方を計算して
器をどこにどのように置くか
を決めていきます。
しかし窯に入れるという行為は
神に委ねることでもあります。
人間の力だけでは不可能な美しさが
生まれてくることもあります。
炎の偶然性と陶芸家の意図。
双方が合致して
初めて満足のいく備前焼が
誕生するのです」
備前焼の魅力
備前焼の魅力は
「飾り気のない素朴さ」
そして現代に至るまで
苦難の時代を乗り越えながら
「製品」から「作品」ヘと
新たな芸術の境地が
切り開かれてきた。
今日まで
約1000年の歴史の中で
備前の街並の窯から
煙ののぼらなかった日は
一日たりとない
ほどです。
約1300度もの高温で
2週間も焚き続けられる窯の中で
焼成する焼締め陶。
釉薬をかけず
絵付もしない
備前焼は
土そのものの渋い味わいと
窯焚きによって生まれる
「自然の発色と窯変(ようへん)」
が特徴と言われています。
土の性質や
窯への詰め方や窯の温度の変化
焼成時の灰や炭などによって
生み出される備前焼は
一つとして同じ色
同じ模様にはなりません。
「茶褐色の地肌」が
備前焼の特徴。
茶褐色は使われる
粘土の鉄分によるもので
土と炎と人の出会いによって
生み出される風合です。
備前焼は
高温で約2週間焼き締めるため
「投げても割れない」
と言われるほど
堅く仕上げられます。
そのことから
すり鉢や、大きなカメ、壷が
多く作られていました。
微細な気孔があり
通気性に優れているため
切花が長持ちする花びんも
多く作られています。
微細な凹凸により
きめ細かな泡ができることから
ビールグラスとしても
重宝されています。
「干寄(ひよせ)」
備前焼で使用されている土は
「干寄(ひよせ)」
と呼ばれる
田畑から採掘される粘土です。
田畑の地下2~4mのところに
30~90cmほどの薄い層で
岡山県備前市伊部(いんべ)付近に
良質なものが多い。
「干寄(ひよせ)」は
伊部の北に位置する熊山連峰から
100万年以上も前に流出した
土が蓄積したものです。
きめが細かく粘り気があり
陶土としては鉄分が多く含まれています。
採掘した粘土は
最低1~2年
野積みにして風雨にさらします。
そうすることで不純物が腐り
土となじみます。
また多く含まれる鉄分も除去されます。
この「干寄(ひよせ)」と
瀬戸内市長船町磯上の黒土を
混ぜ合わせて陶土を作ります。
釉薬を使わない備前焼にとって
特に土は重要な要素であり
「陶土作り」には
作品の出来上がりを左右する
「重要な工程」
になります。
備前焼の成形は
「手びねり」や「轆轤(ろくろ)」
を使います。
成形した後は
生地の模様は窯詰めの際に
異素材を一緒に焼いたり
炎の動きや割木の灰などがかかり
模様として焼きあがります。
窯の中の場所や
炎の強さ灰の量によって
模様が変化するため
作家は長年の経験から
焼き上がりを予想して窯入れをします。
最終的には
焼きあがるまで
仕上げりは分かりません。
これが
2つとして同じものができない
「備前焼の魅力」
です。
美しい陶器
備前焼は、
神秘的でぬくもりのある
素朴な美しさがあります。
数多くの人々に感動を与え、
愛好者は広く海外にまで及んでいるほどです。
他に例を見ない
この長い歴史と伝統。
そして無限とも言える魅力を
しっかりと受け継ぐべく
今日も300人余りの
優秀な作家・陶工たちが
この備前の地に窯を構え
素晴しい作品を数多く世に送り出しています。
人間の力だけでは不可能な美しさが
生まれてくる
「備前焼」
炎の偶然性と陶芸家の意図
双方が合致して
誕生する
ぬくもりある素朴で
美しい陶器。