九谷焼
KUTANI-YAKI

 

 

 

【九谷焼】
色絵陶磁器上絵付けは
日本伝統美





 

 

九谷焼の歴史


九谷焼:KUTANI-YAKI 
360年以上の歴史と
その中から生まれた様々な「絵付け」
様式があります。


九谷焼は
明暦元年(1655)に加賀藩の命により
大聖寺藩を治めていた

初代藩主前田利治のもとで
始まった磁器です。


領内の九谷村で磁器の原料となる
陶石が発見され

有田で陶技を学んだ「後藤才次郎」
江尻郡九谷村で開窯した。

陶石の産地と窯の場所にちなんで、

「九谷焼」となった。


特にこの時期に作られた九谷焼を
「古九谷」:古い九谷焼
と呼ばれます。

青手や色絵の美しい絵付けのスタイルが
磁器職人や知識人の間で
特別視される名作として
大切に受け伝えられてきました。

しかし開窯約100年後に
突然生産が終わりを遂げます。

大聖寺藩の財政難や政策方針の転換など
理由は定かではないため、今も大きな「謎」に包まれています。




江戸時代前期に再び
「九谷焼」が脚光を浴びます。

江戸後期に
瀬戸で磁器産業が
成功したことをきっかに

加賀でも「春日山焼」「若杉焼」
作られ始めました。


さらに、その「若杉焼」
成功したことで
かつて古九谷を生み出した
大聖寺藩でも
古九谷再興の動きが強まりました。

その中心人物が
大聖寺の豪商 「吉田屋伝右衛門」
文政六年(1823)九谷村の
古九谷窯跡の横に登窯を築き
翌年「九谷焼」を焼き始めました。



明治時代の
「九谷庄三 : KUTANI SYOUZA」
彩色金襴手」が有名。

大量の九谷焼が海外へ輸出されます。
明治6年(1873)に開かれた
「ウィーン万博」
「ジャパンクタニ」として
九谷焼の名が一気に広まりました。




「九谷焼」
作品は豪快かつ色調渋く
独特の魅力があり
柿右衛門、色鍋島、仁清と並んで
「日本の色絵陶磁」
の代表的なものとなっています。





九谷の名工

 


人間国宝 三代 德田八十吉
TOKUDA YASOKICHI



色は約70色を使い分け、
色の濃淡のみで作品を仕上げる技法
「彩釉(さいゆう)」
を生み出す。




吉田美統
YOSHITA MINORI


金箔の薄箔・厚箔を使い
遠近感を出す手法
「釉裏金彩(ゆうりきんさい)」
が特徴。




仲田錦玉
NAKATA KINGYOKU


「盛金技法」「青粒白粒技法」
2つの技法が融合し
独自の世界観が表現される
「盛金青粒画風」
の第一人者。


など


モダンで優美な色彩の九谷焼を生み出し
その伝統を発展させています。





江戸時代前期は、
九谷焼が誕生した時期。


旧大聖寺藩の職人の中から
様々な名工も
輩出しました。




絵付け


竹内吟秋
TAKIUCHI GINSYU


天保2年2月5日(1831年3月18日) – 1913年(大正2 年)明治時代の陶芸家




浅井一毫

ASHI ICHIGOU


天保7年(1836年)‐ 大正5年(1916年)幕末から大正時代にかけて活躍した九谷焼の陶工




初代 須田菁華
SUDA SEIKA


文久2年(1862年)- 昭和2年(1927年)明治時代に山代に生きた九谷焼の名工
北大路魯山人(当時福田大観)に陶芸の手ほどき




九谷庄三
KUTANI SYOUZA

 

天保13年(1816年)- 明治16年(1883年) 江戸後期から明治時代の陶画工



多くの作家が名を挙げようと
努力をしました。










【九谷焼】色絵陶磁器の「上絵付け」最大の魅力は、「日本の伝統美」。








九谷焼の魅力とは?


九谷焼は、陶器も磁器も両方あります。

それぞれに性質が異なりますが、
それぞれにいいところがあります。
九谷焼は、陶器・磁器の両方でその魅力を味わえます。



「上絵付け」を九谷でしたものを
「九谷焼」としています。



石川県南部地方
(金沢市・小松市・加賀市・能美市)
で生産されている陶磁器は、
色鮮やかな色彩と大胆な絵付けが魅力。


九谷焼は、日本を代表する
「色絵陶磁器」



最大の魅力は「上絵付け」

「上絵付けを語らずして九谷はない!」


色絵装飾の素晴らしさは、豪放華麗。


古九谷は、
大胆なデザインと華やかな色彩が特徴。

『赤、黄、緑、紫、紺青』の原色五彩からなる
独自の色絵磁器です。



 





上絵付けとは?


本焼きした陶磁器の
「釉薬(ゆうやく)」の上に
顔料で紋様を描き
再度焼く技法のこと。

九谷焼や有田焼などに広くその技法が用いられています。


<上絵付けは大変重要な工程>

九谷焼の最大の魅力と言えば
「上絵付け」です。

本焼きのあとに絵を付け、
さらに800℃前後で焼き直します。
その際
熱を加えたことで流れてできた模様
それが
美しい仕上がりの作品の味となる。




九谷焼の上絵付けの特徴は
『赤、黄、緑、紫、紺青』
「五彩手」

みごとな色彩効果と
優美な絵模様に表れています。



その他
『緑、黄、紫、紺青』を使用した
「青手古九谷」
の「塗埋手」など
色彩のハーモニーが魅力です。





花鳥、山水、風物など
大胆な絵図柄を描いた作品が
多くあります。


文様には幾何学模様など
拓みに併用した作品などもあります。

素地を色で塗りつぶした
「青手(塗りつぶし手)」
古九谷焼独特の作風です。






色絵・五彩手

 
九谷焼の色絵は、
『赤、黄、緑、紫、紺青』
の五彩を用いる

「五彩手」を指します。

古九谷に始まるこの五彩を
「九谷五彩」と呼びます。

五彩手の絵付は、
この五彩の絵の具を
厚く盛り上げて塗る彩法です。

高温で焼きあげた白磁や染付の上に
五彩で絵付し
再び錦窯に入れて焼きつけます。

  

 
九谷五彩の特徴は
「題材と絵付け」


山水、花鳥など
熟練された絵師の筆づかいで
描いている題材。

また
狩野派や琳派の
絵画、漆芸、染織、欄間彫刻の文様など
完成された絵付。






青手

 

 「赤を使わない様式」=「青手」
基本的な色が深みのある
「緑と黄」を使います。
これに「紺青と紫」を加えます。

日本では
古くから緑を青と呼んでいたことから
このように呼ばれるようになりました。
九谷焼独特のものであることから
「青九谷」ともいわれます。



 古九谷では赤色を全く使わず、
「緑・黄・紺青・紫」のうち三彩
または二彩のみを使用する
「青手古九谷」
と呼ばれるものがあります。


器体の表裏を埋めつくす
塗埋手」
さらに豪華。

古九谷は
絢爛華麗さを追い求める
大胆かつ華麗な作風。


「青手九谷」
明治以降「ジャパン クタニ」
で人気の出た!

「赤絵金襴手」と対極にある
九谷焼独特の様式。

徳田八十吉などの作家によって
多様化して受け継がれています。

 






赤絵・金襴手

 

 九谷焼の赤絵は、
「独特の細密描画の様式」

絵付には
職人の高い技術が要求されます。
にじみにくい赤絵の具の
特性を活かして
文様を器全体に「細描」と呼ばれる
細かい描き込み
小紋などで埋め尽くすといった
絵柄があります。


背景を主に赤で塗り埋めた器体に
金彩で絵付した様式は
「赤絵金襴手」
と呼ばれています。


赤絵の具で上絵付した後
広くは金泥も含む金箔などの
金色を焼き付けて文様を表します。



 「赤絵金襴手」は、
中国宋代に始まり
明・清代に発達しました。

日本では
江戸時代中期に
愛好されていた嘉靖金襴手を取り入れ
伊万里金襴手がつくられます。

そして江戸後期
九谷焼で寒色系中心の彩色から
赤を中心とした「細描」で
精緻な赤絵に変化していきました。

金沢の春日山窯で
制作されたことに始まり
その後、金沢の民山窯で蘇り
さらに宮本屋窯で
赤絵細描様式(八郎手)が
確立されました。

 
慶応に金襴手が「永楽和全」によって
九谷焼に持ち込まれました。
永楽和全は特に金襴手が得意で
金泥を用いながら金箔を使った
京の明るく都会的な作風を
九谷焼に取り入れました。

明治では
竹内吟秋・浅井一毫らによって
八郎手と金襴手が融合されます。

こうした様式は
金沢と能美に広まり
九谷庄三により
彩色金襴手」
九谷焼の様式の大きな支柱の一つに
深く根付きます。

 

 





 

九谷焼の一番の魅力は
「上絵付け」

赤色を全く使わない
「青手古九谷」もあれば

赤色で全面に描いた
「赤絵金襴手」もある。

さらには
『赤、黄、緑、紫、紺青』
五彩を用いる
「五彩手」もある。


まさに
「日本の色絵陶磁」
の代表的な工芸品。


360年以上の歴史

確かな絵付け技法

今も変わらぬ
「日本の伝統美」
として愛されている。

日常使いできる日本の工芸品を

もう一度
試してみたい!